初めての方へ資金調達債務返済、債務超過不動産リースバック

TOP > 再生事例 > 毎月130万円の赤字、飲食店経営田中社長

再生事例

事業譲渡、新会社設立

*社名、名前、場所は仮称です。

状況:
売上22,000万円/年、首都圏2店舗、従業員4名、アルバイト8名、駅前の雑居ビル路面店


脱サラ、飲食店経営成功へ
  事業譲渡、新会社設立田中社長(仮名)はバブル崩壊後間もない平成4年に脱サラをして会社を設立。駅近くの繁華街に飲食店2店舗をオープンしました。不動産価格はディスカウントされ、好立地ながら安く借入れた店舗に、今がチャンスと設備資金や宣伝広告費、当面の運転資金7,000万円の融資を金融機関から受けました。
2店とも繁華街から駅へ向かう路面店で、平日は近くのサラリーマンやOL、休日には遠方からの来客で常に満席状態。これも会社設立前の入念な資金計画、経営計画、顧客回転率などマーケティングを細かく行った結果と田中社長は自信に満ちていました。


メディアに露出、街のスポットに
  その後数年間、順調な経営を続け平成10年に話題づくりに思い切った店舗の内外装を施し、人々の目を引きつけました。凝った内外装はタウン誌やグルメ本などにも取り上げられるようになり、街のスポット的存在にまでなったのです。
マスメディアで有名になった店舗は、そのプレッシャーからか金融機関からの追加融資によって内外装リニューアルを繰り返し、より凝った店舗として客を飽きさせませんでした。
借入金も順調な売上で約定通りの返済を続け、金融機関からは新たな店舗展開の話もありましたが、田中社長はこの時、新たな店舗より今の2店舗を大切に育てる経営方針から、無理して何店舗も出さなかったことが後になって救われたと思うことになるのです。
数年が経ち、やがてリーマンブラザース破綻の報道が田中社長の耳にも届いたのです。100年に一度の金融危機、まさか自分の店舗には影響はないと危機感すら感じませんでした。景気低迷から飲食業界は価格の下落傾向へ向かい、客単価、売上も右肩下がりで減少してきました。一時代を築いたとはいえ田中社長の店舗も長引く不況には勝てなかったのです。私たちセントラル総合研究所へ相談に来たときには両店で毎月100〜130万円の赤字経営に陥っていました。


対応法がわかっていれば不安はない
  田中社長は相談に現れ、開口一番「毎月赤字じゃもう無理ですよね」と言ってきました。会社設立から十数年も成功を続け、初めての挫折だったのでしょう。すっかり弱気になった田中社長の相談内容は会社を畳む方向のことしか口にしませんでした。田中社長は財務の数字は几帳面につけているものの、資金繰りが悪化してからの対応法がわかっていなかったのです。
財務デューデリジェンスをしている期間、田中社長は3度コンサルタントのもとを訪ね、事業再生の目的や事業継続の意思をアドバイスされ、事業継続を少しずつ実感するようになってきたのです。従業員や取引先、金融機関、リース会社への対応さえわかっていればこんな弱気にならなかったはずです。


事業再生に関するご相談はこちら



リスケで資金調達
  事業譲渡、新会社設立財務デューデリジェンスでわかったことは、2店舗のうち1店舗が黒字であるということ。金融機関、リース会社への返済遅延のない今、リスケジュールを依頼し、元金を一年間猶予できれば1店舗だけなら事業が成り立つことがわかったのです。
コンサルタントから事業再生計画をアドバイスされながら経営改善書をつくりあげ、金融機関へ出向き説明、リスケジュールを依頼しました。リース会社は最初、厨房機器を引き取ると言われましたが今後の売上計画を誠意を持って説明することによって2度目の訪問時には一定額の猶予が承認されました。こうして猶予期間に資金を蓄え、新たに店を盛り返すことになったのです。


新たなビジネスに向かって
  田中社長は、もともと私たちコンサルタントに「会社をどう畳めばベストなのか」を相談しに来たそうです。実は田中社長の実家は芳賀郡(仮)で有名な焼き物工場を経営し、販路拡大でウェブでの通販を実家から頼まれ田中社長はすっかりその気になっていたと漏らしたのです。それがデューデリジェンスで1店舗の展開なら事業の継続が可能とわかり、以前から店を経営したがっていた一番信頼のおける従業員、吉沢氏(仮名)に意思を確認したのです。もちろん吉沢氏は一言、「やりたいです!」と目を輝かせました。


返済可能な売上を確保
  コンサルタントは田中社長、吉沢氏に事業譲渡を薦めました。新しい会社を設立し、吉沢氏が代表となり営業権、店名などを新会社へ譲渡するものです。さらに赤字の店舗はテナントとして居抜きで売却しようと考えたのです。繁華街から駅へ向かう路面店、条件的にも魅力のある店舗にコンサルタントはすぐに決まると確信したのです。
営業譲渡された吉沢氏の店舗は内外装、看板もそのまま利用し営業を続け、田中社長へ毎月、設備使用料、家賃を支払います。田中社長はリスケジュールで元金を一年間猶予、新しいウェブ通販ビジネスを立ち上げるための資金としてオープンに向け準備に入ります。焼き物ネット販売は、幸い知人によって格安料金で大手ショッピングサイト内に立ち上げることができ、当初は少額でしたがサイト運営会社の熱心な指導のもと、半年後には全国から注文がくるようになり、リスケジュール期間が終わる頃にはリスケジュール終了後の返済が可能となる売上を確保するようになってきたのです。


新たなウェブ通販ビジネスに融資の話も
  不動産部の予測通りテナントとした店舗もすぐに決まり、厨房、調理備品、食器などそのままの居抜き状態で売却、まとまった資金を得ることによってウェブ通販ビジネスの経費負担を減らし、宣伝広告費に費やすことが出来たのです。サイト内での広告によって更なる集客効果が得られました。
一時は会社を畳むまで決意した社長が、吉沢氏の新会社に店舗、営業権を譲渡し、見た目は変わらずに営業を続け、田中社長の会社はウェブ通販ビシネスを展開できるようになったのです。
この飲食店での事業再生の成功のポイントは田中社長が金融機関などへの返済が滞る前に、早めにコンサルタントのもとに相談に訪れたこと。そして、売上が伸びている時期に無理して店舗を増やさなかったことです。つまり傷口を大きく開かなかったのです。
ウェブ通販ビジネスに取り組む田中社長は、今では大手ショッピングサイト内では有名な焼き物ショップとして紹介され、韓国や台湾からも引き合いがあるそうです。リスケジュール期間を終え、返済が再開され、今後、日本ブランドが魅力の新興国向けのビジネスとして小売り、卸売りにも幅を広げる計画で、金融機関からも新たな融資の話が出ているとの事です。


結果:
1店舗は新会社設立、従業員へ事業譲渡後、事業継続。4ケ月目から黒字とのことです。
もう1店舗はテナントとして居抜き状態で内装、什器を売却、資金調達。
田中社長は店舗運営事業からウェブ通販運営事業に事業変更。業務拡大へ。


[2010.10.5更新]

事業再生に関するご相談はこちら

ページトップへ